快しん整体 院長
橋本 訓 (はしもと さとし)
1968年 神奈川県川崎市で生まれ
半年後から和歌山県海南市在住
好きなもの:自分で運転できる乗り物、ウォーキング、
コーヒー、新しいチャレンジ
苦手なもの:遊園地のアトラクション
和歌山県海南市で、病院で治らないと言われた症状や、さまざまなスポーツ障害を根本的に改善する、痛みとしびれからの回復に特化した整体院で日々施術を行っています。
どうして私が施術家の道へ進むことを決断したのか、お伝えしたいと思います。
ひざ痛・ねんざとの格闘
私は子供の頃から身体を動かすことが大好きで、小学生のときは野球、そして中学・高校生の6年間はバスケットボールに打ち込んできました。
野球はもちろん、バスケットボールもとても楽しかったのですが、バスケットボールの動きが激しいことが原因なのか、中学時代に足首のねんざを何度か起こしてしまいます。
そのときの治療法は、整形外科や整骨院で電気をかけ、湿布を貼っていました。このときは何も疑問を感じることなく、言われるままに治療を受けてきました。
そして「痛みを感じなくなる=治った」と考えるようになってしまったのです。
高校に進学してからもバスケットボール部に入りましたが、中学とは練習量や内容も全く違い、とてもハードなメニューで、練習についていくだけで必死の毎日を送ります。
あるとき、中学時代に起こした足首のねんざを再発してしまいます。それからは足首のねんざが癖のようになってしまい、練習や試合で思うようなプレイができなくて悩み、困っていると、先輩からねんざの予防法としてテーピング法を教えてもらいました。
テーピング法を覚えたことで「これで足首のねんざの心配をすることがなくなった!思いきりプレイが出来るぞ!」と喜んでいましたが、それもつかの間でした。
今度はひざに痛みを感じるようになってしまったのです。
また整形外科で診察を受けましたが、「この程度なら手術するほどでもないですね。」といわれて、湿布を処方されるだけ。
その湿布を貼り、ひざのサポーターをつけて様子をみながら練習を続けましたが、ひざの痛みはあまり変わらず、痛みの原因もハッキリと解らないままに「これからもバスケットボールを続けていけるのだろうか…。」と大きな不安に襲われます。
そんなときにコーチから、「脚の筋肉を鍛えれば、ひざの痛みは解消されるぞ。」と教えられたので、ひざの痛みから逃れたい一心で、バーベルを担いで行うスクワットを中心とした脚の筋トレが日課となります。
すると、筋トレの成果があったのか、ひざの痛みは徐々に感じなくなっていきました。
しかし、足首のテーピングがないと思いきりプレイできない状態はずっと変わらずに続いていたのです。
無理を重ねて激しいプレイを繰り返すことで、ときにはひざがパンパンに腫れてしまい、ひざ関節に水腫や血腫が溜まってしまうことも何度かありました。
ひざに強い痛みが起こるたびに病院へ行き、溜まった水腫や血腫を注射で抜いてもらうことを繰り返しながらも、チームの人数が少なく、私が休むと試合も出来ない状況だったので、少々の痛みがあっても練習や試合を休むことはありません。
酷いときにはひざをギプスで固定し、試合前日にそのギプスを外して、テーピングでガチガチに固めてプレイしたこともあったのです。
そのときの私は「チームに迷惑をかけてはいけない、自分が我慢してでも頑張らないといけない…。」との思い込みが強くて、そんな自分を心のどこかで「カッコいい!」とさえ考えていたのです。
こうして何とか高校の3年生の最後の試合までバスケットボールを続けることが出来ました。
高校を卒業してからもOBとしてバスケットボールの練習に参加する機会がありましたが、ひざの痛みが再発してしまい、忘れていた嫌な記憶が蘇ってしまいます。
そんなに無理をしているつもりもなく、激しくないプレイでも、ひざが「カクン」とズレて、力が抜けてしまうような嫌な感覚がおこり、思い切ったプレイができないことから段々と怖さが増してしまいます。
ひざの痛みに悲観的になり、楽しかったバスケットボールから徐々に距離を置くようになってしまいました。
それからも、仕事で重いものを運ぶときや、新たな趣味で始めたジェットスキーでも、ひざに痛みを感じることが度々起こってしまい、「やっぱり脚の筋肉を鍛え続けないと、ひざに痛みからは開放されないのか…。」と思うようになって、スポーツクラブに通いはじめトレ-ニングを再開します。
しかし、この頃から漠然と「ずっと筋トレをしなければ、またひざに痛みが出るようになるのかなぁ…。年をとって筋トレが出来なくなったら、杖や車椅子に頼る生活になってしまうのかも…。」と考え込んでしまうこともありました。
突然の腰痛
そして、30代半ばのある日、突然の腰痛に襲われます。
夜中に腰の痛みと、お尻から足の爪先にかけて、まるで電気が走ったような強いしびれが起こります。
痛みとしびれから逃れようと身体の向きを変えたり、思いついたストレッチをしながら、布団の上でもがいているうちに、気がつけば朝を迎えていました。
不安を抱えながら整形外科で診察を受けると、腰椎に「ヘルニア」があることがわかり、「坐骨神経痛」との診断を受けます。
リハビリのため整形外科へ通い続けたのですが、少し楽になったように感じるものの、根本的に症状は改善されず、気がつけば1年近くが過ぎていました。
それから整骨院や鍼灸にも通ってみましたが、思うように症状の改善はみられません。
整骨院では「腹筋が弱いから腰痛が起こっている。」と説明されたものの、「今までのトレーニングで鍛えられた腹筋が弱いなんて…どういうことだろう?」と疑問が沸き起こってくるばかり。
治療院めぐりをつづけているうちに、「自分で何とかして治すしかない!」と考えるようになっていきます。
そして、部分的に筋力を鍛えるトレーニング方法だけではなく、ストレッチや身体の中心部分である体幹を鍛えるコアトレ-ニングも取り入れ、身体全体のバランスに重点を置くように考え方を変えて、可能な限りの方法でトレーニングに取り組んだつもりでしたが、腰の痛みがスッキリと良くなっていく方向に進んでいく感覚を得ることができません。
ターニング・ポイント
腰痛の原因を調べているうちに、たまたま見つけたブログの記事で「世界一受けたい身体の授業」というセミナーの告知を発見しました。
「なぜ痛いときに押したり揉んではいけないのか?」「ストレッチが痛みを悪化させるわけ」「湿布、アイシングが治りを遅くさせる理由は?」など、これまで私が正しいと思い込んでいた世間では常識とされていることを覆すもので、非常に興味深いものでした。
私は直感で「もしかしたら身体の痛みを改善できる方法があるのかもしれない!」と感じるものがあり、それは先の見えない暗闇に一筋の光がさした瞬間でもありました。
このセミナーへの参加をきっかけに、それまでの身体の常識を全部捨てて、本格的に身体について学び、身体の痛みを自分で治す方法を探すことを決意したのです。
そのためにセラピスト養成学院に入学し、身体の勉強に取り組むことになりました。
その日を境に、これまで仕事が終わって家に帰るとすぐにビールを飲んでくつろいでいましたが、それを止め、半年以上かけてさまざまな学びを深め、「これは!」と感じた方法を実際に自分の身体でいろいろ試してみました。
学びを深めていくうちに、身体の痛みは生活習慣によって引き起こされていることに気づいたのです。
身体と心の変化
最も大切だと実感したことは、自分の身体の痛みと真正面から向き合うことです。
これまでは「身体からの声」である「痛み」を感じながらも、自分の都合を優先し、テーピングや筋トレ、湿布などで痛みを「ごまかす」ことばかり続けてきたことに気づきました。
この「身体からの声」をごまかさず、そのまま受け止めるように意識を変え、自分勝手な都合のために身体への負担をかけないことを心がけ、身体が感じられる気持ちいい方向へ優しく動くセルフケアを行い、正しい姿勢を意識して、必要以上に筋力に頼らない身体の使い方を工夫することで、私自身の身体に起こっていた痛みが徐々に快善していきます。
このときに痛みの原因に対して、身体が快く感じられる必要最小限の優しい働きかけで、自分が本来持っている自然治癒力を働かせるためのきっかけを与えてあげれば、あとは自分の身体が正しい方向へ回復するための素晴らしい力が発揮されることを確信したのです。
気がつけば、猫背気味だった姿勢が快善され、背が伸びたように視点が高くなりました。
また、食事や排泄にも意識を向けると痩せて体型もスッキリしました。
そして日常生活では、ひざや腰の痛みから起こる身体の支障はほとんど感じられなくなっていきます。
こうして、「身体からの声」を素直に受け止める考え方が自然にできるようになると、思い悩んでいた問題の原因は、すべて自分にあることに気づいたのです。
身体の痛みに振り回されて悩むことが少なくなり、心にもゆとりが持てるようになってきました。
痛みが出そうなときや、少し無理をして痛みが出たときでも、「身体からの声」を素直に受け止められるようになり、ひざの痛みで悩み苦しむことや、腰痛が突然現れたときのように慌てふためくこともありません。
先の見えない身体の不安と恐怖から脱出することができたのです。
「また痛みが酷くなるんじゃないのか…。」「辛い状況になったらどうしよう…。」と行動にブレーキをかけて我慢することもなく、何事にも積極的に取り組めるようになりました。
長時間のウォーキングでひざや腰の痛みを心配することも無く、今では20km以上、歩けるようになりました。
今では気持ちが明るく前向きになり、毎日が楽しく過ごせています。
身体が変われば、気持ちにも変化が表れるのです。
施術家として生きる決意
これまでの私自身の経験から学んだこと、施術の技術を活かして、過去の私と同じように身体の痛みや不調で悩み、先の見えない恐怖や不安と戦いながら、もがき苦しんで辛い思いをされている人のためにお役に立ちたい!何か手助けをしたい!という気持ちが大きく膨らんできたのです。そして「身体のプロ」としての道を歩むことを決断しました。
そして施術を学んだ整体院で、大阪分院の立ち上げに関わらせていただくことになります。
その大阪分院でも、過去の自分自身と同じように病院にいっても痛みが取れない、はっきりとした原因もよく解らないまま、処方された痛み止めや湿布、一時しのぎの対症療法で症状が改善されずに悩み、苦しんでいる方が次々と全国から来院されてきました。
ご縁をいただき出会った患者さんに全身全霊で施術を行い、さらにより良い施術をするための学びと研究に打ち込む日々を送ります。
そんな忙しさの中、1年が過ぎようとしていたときに私の父が余命6ヶ月、末期の肺がんであることがわかり、父の看病のために和歌山へ帰ることになります。
これを機会に今度は私を育ててくれた和歌山でも、同じように痛みを抱えて困っている人のお力になりたい!お手伝いをしたい!という思いから現在の場所である和歌山県海南市で整体セラピストとして施術を行っております。
あなたの可能性を信じてください
どんなに小さなお子様でも、どんなご年配の方でも、命のある限り、必ず人間には「自然治癒力」という素晴らしい力、無限の可能性を秘めています。
その回復力である「自然治癒力」を高めるためのきっかけは、実はほんの些細なことだったりするのです。
早期回復のためには「身体からの声」を聞き、その声を受け入れたうえで、身体が求めている本来の自然な状態とはどういうものなのかと、意識を向ける必要があるのです。
身体と向き合うための最善のきっかけが、当院の施術による働きかけであることを私の信条とさせていただいております。
施術を通じて、あなたの身体が本来の良い姿へと快善される方向へ進んでいくためのお手伝いをさせてください。
あなたも自分の可能性を信じて、毎日の時間を楽しく充実して過ごせるように変えていきませんか?
あなたが生まれながらに持っている「快い状態」を取り戻し、辛い痛みや苦しみから開放され明るい未来への道を一緒に歩んでいきましょう!
あなた自身が快くなることをあきらめなければ、痛みを解消する方法が必ずあるのです!その無限の可能性を私はどこまでも堅く、強く信じています!!